イノベーション推進機構 産学連携・URA領域

九州工業大学の研究者 -私たちはこんな研究をしています-

情報工学研究院

講師

田島 健太郎

たしま けんたろう

所属
情報工学研究院
教養教育院
プロフィール
1991
生まれ
2020
九州大学大学院
人文科学府
英語学・英文学専修
博士後期課程満期退学
2017
九州大学大学院
人文科学府
英語学・英文学専修
修士課程修了
2013
早稲田大学
国際教養学部卒業

学部生時代の恩師である現代日本文学の先生との出会いから、命のない「ことば」が読者という生きた人間の心理に及ぼす影響などについてつらつらと考えるようになりました。とりわけ大学院生時代のゼミで講読したD.H.ロレンスの小説『虹』(The Rainbow)の詩情豊かな文体に魅せられ、それ以来ロレンスの小説を研究しています。

身体と心を手探りする、ことば

● 研究テーマ

  • ❖ D.H.ロレンスの作品におけるセクシュアリティの表象
  • ❖ D.H.ロレンスの作品における同性愛的欲望の表象
  • ❖ D.H.ロレンスの作品に見る夢と精神

● 分野

人文・社会 / 英文学、英語圏文学

● キーワード

英文学、D.H.ロレンス、セクシュアリティ、クィア理論、20世紀イギリス小説

● 実施中の研究概要

イギリスで20世紀前半に活躍したD.H.ロレンス(D. H. Lawrence, 1885-30)という作家について研究しています。生前のロレンスはイギリスの文壇でもかなり異端なキャラで(作家って大体そうなんですが)、特に大きな要素だったのは彼が労働者階級出身ということでした――ロレンスの父親はイギリス中西部の炭鉱で「親方」のような仕事をしていたのですが、ここらへんはかつて炭鉱で栄えた北九州・筑豊地方を若干連想させますね。

我が国の学校教育において、ロレンスが出てくるのは主に社会科(私の時代には「公民」という分野で出てきました)でしょうか。晩年に書いた『チャタレイ夫人の恋人』という小説の性描写が過激だったため発禁処分になり、日本でもこの作品の翻訳書を巡って裁判が行われました。現在では、社会全体が性の問題に対してオープンになってきたこともあり、「猥褻」というロレンスの評価は既に時代遅れなものとなっています。

ただ、ロレンスが性について何でもかんでもリベラルに認めていたかというと、そういうわけでもありません。ロレンスは対等な〈男vs女〉の二項対立から成る一種のケミストリーを崇高なものだと信奉する一方、男性が女性に性生活の主導権を握らせることを否定する、一見矛盾した、しかも現代から見れば男尊女卑的な評論を残しました。また彼の哲学は一対一の男女間で成立する性愛を人間の愛の前提条件としているため、必然的に同性愛・両性愛・トランスジェンダー・非性愛といった可能性を「不自然なもの」と切り捨てることになります。こうした女性やセクシュアルマイノリティに対する口撃は、戦後の欧米において特に批判を集めてきました。

こうした歴史的背景のもとで、私はロレンスの小説作品に見られる、「クィアな」関係性のあり方に注目して研究を行っています。つまり同性愛とか異性装とか、そういった要素がロレンスの作品には頻繁にちりばめられているのですが、先に触れたロレンスの哲学をベースに考えると、これってただの不純要素ですよね。それなのに何故か、男同士が全裸でレスリングしながら愛を語ったり、女学生が美人女教師に熱烈な恋心を抱いたり、男装の麗人が雄の狐にポーっと魅入られたり(!)するのが、ロレンスの作品世界なんです。しかもロレンスはそういう猥雑な瞬間をクソ真面目に、繊細かつ大胆に、美しく魔術的な文体で、ひとつの世界に包み込んでしまうんです――あたかもそれが、わたしたち人間にとってとても大事なことででもあるかのように。この矛盾の核心に迫りたい。それが私の研究の原動力です。

● 今後進めたい研究

これまでロレンスの長編小説ばかり研究してきましたが、今後は短編小説や散文も分析していきたいと思います。
また、現代は様々なメディアがあり、性に関することばのやり取りが盛んな時代です。その思潮に、ロレンスのことばがどのように呼応しているのか、考えていきたいと思います。

● 関連リンク先

❖ より詳しい研究者情報

https://hyokadb02.jimu.kyutech.ac.jp/html/100001326_ja.html