過去を知り、今を考える
アメリカ外交史、国際関係史
アメリカ外交史、国際関係史、国連憲章
研究の目的は、1920年代に「国際連盟規約」に明記されなかった人種平等原則が、なぜ「国際連合憲章」には含まれたのかという問いに答えながら、人種や人権という概念が国際政治における重要課題の一つとなった経緯を明らかにすることです。
人種平等原則は、戦後国際政治の場で普遍的価値として幅広く認知されてきました。「国際連合憲章」の前文には、性別や国の大小を問わず基本的人権が平等に与えられることへの信念が述べられ、続く第1条には、国際連合の目的の一つとして、「人種・性・言語または宗教による差別なく」人権および基本的自由が尊重されるよう国際協力を行うと記されています。
しかし、人権や人種問題の普遍的価値が認められるようになった歴史は浅いのです。「国際連盟規約」への人種平等原則の挿入を巡って、第一次大戦後のパリ講和会議で日本の代表団が苦戦したことはよく知られています。また、サンフランシスコ会議においても、人種問題に関する文言は「国際連合憲章」の最初の草案には、明確に述べられていませんでした。
私の研究は、1920年のパリ講和会議と1944年のダンバートン・オークス会議およびサンフランシスコ会議において人種平等原則がどのように扱われたかを比較検討し、時代に特徴的な問題と、両時期に現れる根本的な問題を明らかにしたいと思います。また、第2次世界大戦をはさむ四半世紀のいかなる変化によってこの問題が重要課題として認識されるようになったかを研究しています。
「人権」「人種平等」は大きなテーマなのでこれを着実に進めて生きたいと思います。将来は「アメリカ外交」におけるソフトパワー(軍事力・経済力を除く文化・娯楽、政策手法などでクリントン政権下の国家安全保障会議議長・ハーバード大学教授ジョセフ・ナイが提唱している)の側面について注目して研究していきたいと思います。